Ron Rivest[*p01]が私にこう尋ねた。「インテルやIBMが提案しているコピープロテクション方式と、有料テレビのスクランブル放送のような既存のコンテンツ・プロテクションとの違いについて、君の意見を聞かせてもらえばとても参考になるだろう。君の立場にあえて反対してみるとすればこうだ:“プロテクトのかかったコンテンツを見るために追加や特別のハードウェアを購入する気が消費者にあるのなら、そのどこが悪い?”」
まず、わたしはコンテンツ・プロテクションではなくコピープロテクションという言葉を使う。ここで使われる“コンテンツ”という言葉には意味がないからだ。これらの技術が実際におこなうのはコピーを妨害することだ。最初のマイクロコンピュータからミニコンピュータ、ワークステーションに始まり、こうした技術には長い歴史がある。ごく狭いニッチを除いて、それらの技術はすべて失敗に終わってきた。原因の多くは顧客からの、コピーを制限しない別の製品を購入するという積極的な反対によるものだった。
人々が望みのコピープロテクション製品を選べるようにすることには何の問題もない。問題なのは次のような場合だ:
問題なのは、音声や映像やビットをただそのまま記録する製品が欲しくても、それが市場から駆逐されて手に入らない場合だ。たとえばDAT市場を消滅させたAudio Home Recording Actのような、技術を規制する法律によって。また現在EFF(電子フロンティア財団)が法廷で争っているデジタルミレニアム著作権法[DMCA]のような“回避行為禁止”法によって。またFCC[連邦通信委員会]が一カ月前に決定した、合法的な権利をもった市民に対してもHDTV録画機能の提供を禁じるような、連邦機関からの命令によって。またSDMIやCPRMのような、私企業同士の合意によって(こうした規格は後に既成事実として公認の標準化団体に“提出”され、制定を阻止するためには影響を受ける公衆の側の努力が必要となる)。また法律や標準規格の背後にある、私企業間の非公式な取り決めによって(たとえばDATやMiniDiscはすべてのアナログ入力を、ユーザが権利を持っていない著作権付きの素材として扱う。わたしが弟の結婚式を記録したディスクは複製不可能だ。まるで私も弟も著作権を持っていないとでもいうように)。
最近アップルが発表した記録可能DVDドライブの製造元Pioneer New Media Technologiesによれば、「記録可能DVDドライブの主な消費者向け用途はホームムービーの編集や保存、またデジタル写真の保管になるだろう」という。かれらは「テレビ番組やネット上のストリーミングビデオの録画」という用途は注意深く除外している。なぜなら、製造元企業と販売企業は共謀して、その機能が決して市場に届かないようにしているからだ。テレビ番組の録画は最高裁のベータマックス裁判*で認められた100%合法的な権利であるにもかかわらず。Streambox社はRealVideoのストリーミング放送をハードディスクに録画できるソフトを開発したが、Real社にデジタルミレニアム著作権法違反で訴えられ販売を中止させられた。Nomura Securitiesの予測によれば、DVDレコーダの販売台数は2004年か2005年にはVTRの、2005年には再生専用DVDプレーヤの販売台数を上まわるとされている。(http://www.kipinet.com/tdb/1000/10tdb04.htm)。つまり2010年やそこらには、テレビ番組をコピーしたり、後で見るようにタイムシフトしたり、車のバックシートで子供たちに見せたりできるレコーダを持つのはごく一部の消費者だけになることだろう。この社会的なパラダイムシフトについてコメントしたものが誰かいるだろうか。われわれはこれを良いことだと思うのか、悪いことだと思うのか? そもそもこのことについて何か語られているだろうか?[*p05]
かわりに消費者は、別の時間[タイムシフト]や別の場所[スペース・シフト]で視聴するために、映画/テレビ会社に繰り返し支払わざるを得なくなるだろう。たとえ正規に購入した映画が自宅の機材に保存してあり、どこからでもそれにアクセスできる高帯域接続が利用できたとしても。このコンセプトは「ペイ・パー・ユース(使用するごとに支払い)」と呼ばれている。「視聴できるものは何でもコピーする(録画する)権利がある」とは比べものにならない。こうした企業は法的にこの権利をとりあげることができないために、技術に枷をかけることで合法的な権利を行使できないようにする。だがそれによって、かれらは公正で安定した社会の礎となる基本的な合意事項の多くを踏みにじっている。自分たちが死ぬまでのあいだ社会が続きさえすれば、財産権や自由といった根本的な価値観の侵犯が社会に及ぼす長期的な影響のことなど気にもかけていないようだ。
問題なのは、コピープロテクト製品を作る会社がその制約を消費者に開示しないときだ。アップルが今月発表した書き込み型DVDドライブの陽気な紹介ページ http://www.apple.com/idvd/ のように。自分で撮影したDVムービーなどからDVDを作れるといった熱烈な宣伝文句で溢れているが、このページがさりげなく無視しているのは、大手企業が著作権を持つどんなオーディオやビデオのコピーもタイムシフトもできないということだ。法的な権利があるにもかかわらず、技術的手段がそれを不可能にする。書き込み型CDドライブでできるように、いろいろなアーティストのビデオクリップを集めたディスクを作るためには使えない、とは告げようとしない。また、あなた自身のディスクにコピープロテクトをかけることはできないとも告げようとしない。それは大きな製造企業が自分たちだけに留保する権利なのだ。かれらがあなたに売るのは「業務用限定」のDVD-オーサリングドライブではなく、あなた自身のディスクをコピープロテクトするために必要なキーブロックを焼く機能のないDVD-ジェネラルドライブだ。ディスクをプレスするためのマスターを作ることもできない。こうした区別には言い訳さえなく、製品を買ってはじめて分かるようにただ無視されている。
消費者を誤導しているのはアップルだけではなく、このやりかたは蔓延している。ソニーのポータブルミニディスクレコーダにはデジタル入力だけがあり、デジタル出力は決して用意されない。入力はできるが、低音質のアナログフォーマットでしか出力できない。インテルは自社の提案するTCPA(Trusted Computing Platform Architecture,トラステッドコンピューティングアーキテクチャ)の素晴らしさを喧伝するが、それがあなたのPC使用をスパイして、任意の第三者にインターネット越しにあなたを――PCの所有者を――「信頼」するかどうか決めさせるためだけに存在していると知るには行間を読まなければならない。TCPAはあなたのPCが信頼できるか(ウイルスに感染しているか、など)をあなたに報告するためのものではなく、そうした機能は持っていない。TCPAが存在するのは、あなたがMP3を複製するソフトや脆弱なコピープロテクション技術を回避するフリーソフトウェアをインストールしたかどうか、レコード会社に報告するためなのだ。インテルはコンピュータとディスプレイのあいだのケーブル上で作用する高速ハードウェア暗号HDCP(High Definition Content Protection)を推進している。暗号化されるのはユーザがその場で目にしている信号だけだ。ではなぜ暗号化する必要があるのだろう? ユーザが現に見ることができている映像を録画不可能にするためだ! ケーブルに手が加えられると、ビデオチップは信号を「アナログVTR画質」まで低下させるようになっている。
インテルはまたSDMIおよびCPRM(Content Protection for Recordable Media)も推進している。ストレージメディア(ディスクドライブ、フラッシュRAM、zipディスクなど)を映画・レコード会社と結託させ、コンピュータとメディアの所有者であるあなたに保存や読み出しを許さないようにするためだ。書き込まれたデータは特定の読み出しソフトウェアによって、制約された形でのみ読み出すことができる。制約をコントロールするのは所有者でも法律でもなく、映画/レコード会社と機器メーカー間の契約だ。たとえば「著作権のある音楽を暗号化されていないメディアに保存することはできない」といったように。FMラジオから曲を録ろうとしても、CPRMオーディオ・レコーダは録音も再生も拒絶するだろう。曲に電子透かしが埋め込まれている一方、暗号化はされていないからだ。たとえあなた自身が制作したばかりのオリジナルの音源を録音する場合であっても、アナログ録音に対する規定の設定はコピー不可になっており、設定を変更してもCD以上の音質でコピーすることはできないうえ、ただひとつのコピーしか作ることはできない(他の制限をなんとか回避したとしても)。インテルもIBMもこうした事実を伝えようとはしない。これを知るためには、http://www.4centity.com/ からリンクを辿り、侵害的な個人情報を記入させられて初めて閲覧できる"Interim CPRM/CPPM Adopters Agreement"全70ページのうち45ページ目、文書B-1"CPPM Compliance Rules for DVD-Audio"の11ページを読む必要がある。インテルが口にするのは、CPRMによって「ユーザは…さらに多くの音楽をダウンロードして、どこにいてもその音楽を楽しむことができるようになります」 http://www.intel.com/jp/intel/pr/press2000/000322.htm だけだ。自社製品を購入させるために、顧客に嘘をつき偽りの情報を与えることは間違っている。[*p09]
問題なのは、研究者が特定の分野を研究したり、成果を公表することができないときだ。プリンストン大学のエド・フェルトン教授は、秘密主義的なSDMIコミッティー自身が許可した公開研究の一部として、SDMI“電子透かし”機構がクラックされる可能性を詳細に研究した。(SDMIはEFFがこの研究に加わることを拒否した。EFFは音楽会社でも製造会社でもないゆえに正当な利害をもっていないというのがその理由だ。SDMIコンソーシアムには消費者や市民の権利の代表はひとりも参加していない)。先週のNew York Times紙上でフェルトン教授は、デジタルミレニアム著作権法のため、研究成果の詳細を公開することは不可能だとSDMIおよびプリンストンの弁護士から警告されたと語っている。採用された技術がどれほど簡単に破れるものかをSDMI参加企業に伝えることはできても、公衆や他の研究者におなじことを伝えるのは許されないのだ。[*p10]
問題なのは、自由市場で競いあう企業が、消費者の求めに応えた競合デバイスやソフトウェアを作れなくなることだ。そうしたデバイスは禁止されたり圧力を受け、ソフトウェアは検閲されアンダーグラウンドに追いやられる。たとえばDeCSSやLiViD DVDプレーヤなどのオープンソースソフトウェアや、アメリカ向けの「リージョン1」DVDを再生できる世界中のDVDプレーヤのように。EFFは昨年、セキュリティ情報誌の出版者とノルウェーの少年をそれぞれ検閲・投獄しようとする映画産業から守るために100万ドル以上を費やした。映画会社がほとんどのDVD再生機器に要求する一方的な契約に縛られることなくDVDを再生・複製できる競合ソフトウェアを作成したこと、またそれを掲載したことが訴訟の理由だ。映画産業側はニューヨークの裁判だけで400万ドル以上を投入している。何の変哲もない単なるデジタルオーディオレコーダを市場に出そうとする企業はほとんどない――MP3プレーヤはいくらでも見つかるが、ステレオMP3レコーダはどこにある? そうしたデバイスは訴訟の脅しで存在しないも同然に萎縮させられているのだ。MP3で録音できると謳うデバイスも、「モノラル・ボイスレコーダ音質」しか選ぶことができない。[*p11]
問題なのは、著作権法で認められた権利を守るために導入されたコントロールが、他の目的に利用されることだ。既存の権利を守るためにではなく、権利保有者のおもうままに新しい権利が創りだされる。映画会社がDVDの「リージョン分割」システムに固執するのは、自由貿易を定めた法の下で世界的にDVDが取り引きされてしまえば、より多くの利益を得ることができなくなるからだ。(同じ映画がDVDで買えるなら高い劇場料金は設定できないし、劇場公開とDVD発売の間隔が長ければ広告キャンペーンで相乗効果を狙うことができない)。これによって、消費者はDVDもプレーヤも合法的に手に入れることができるにもかかわらず、再生はできないという状況が作り出された。ユーザにはその映画を見るあらゆる法的権利が認められているにもかかわらず、映画会社の利益が減るかもしれないという理由で再生が妨げられている。同様のコントロールは、広告や無意味な「FBIからの警告」メッセージを早送りさせないためにも使われている。
マイクロソフトは標準規格から巧妙に互換性を失わせたプロトコルをWindows2000に組み込むことで、競合するUnixマシンをDNSサーバとして利用することができないようにした。マイクロソフトはプロトコルの仕様を公開したが、得た情報をマイクロソフトと競合する目的で使わないという条件に同意しなければ読むことができない暗号化ファイル形式しか用意しなかった。使用条件に同意せずにその暗号を解読できる方法が見つかったとき、マイクロソフトは結果を掲載した有名なオープンソース・ニュースサイトSlashdotをデジタルミレニアム著作権法で訴えると脅した。(われわれにとって幸運なことに、骨のあるSlashdotは「どうぞお好きに。受けて立ちましょう。」と応え、マイクロソフトは逃げ出した)。著作権には競争から逃れる権利も、自由な世界貿易を制限する権利も含まれていない――にも関わらず、著作権を守るために制定された法律がまさにその目的で利用されている。[*p13]
問題なのは、社会全体に関わる方針が、開かれた公共の議論によってではなく、また議会や法廷によってでもなく、映画/レコード産業とコンピュータ産業の重役たちによる密室の話し合いで作られるときだ。例えばCPRMの仕様は、情報のパッケージを流通させる側が、受け手がそれをコピーできるかどうか、あるいは一度はコピーできても二度は不可能などと決めることができる。この決定は法律で強制できるものでもなければ、法律で定められたものでもない。著作権法が定めるのはもっと別のことだ。にもかかわらず、こうした取り決めは全ての主要メーカーの機器によって強制される。なぜなら、もし消費者に3つの、あるいは法的に認められた範囲のコピーを許す機器を製造すれば、映画・音楽産業から訴訟を起こされるからだ。このような密室で作られた取り決めが参加者たちにとって有利な一方で、消費者と社会に負担を強いるものになるのは意外なことだろうか?
問題なのは、クリエータの権利と言論および出版の自由の権利とのバランスが失われるときだ。クリエータの権利の拡大は、公衆の言論の自由や出版の自由の縮小を意味する。著作権の拡大はつねにパブリックドメインの縮小だ。批評する権利、他人の意見に異を唱える権利が制限を受ける。憲法修正第1条はほとんど絶対に近い出版の権利を定めているが、著作権条項で認められているのは自分の作品が他者によって出版されることを防ぐための限られた権利だけだ。公表を妨げる権利が拡大すれば、公表する権利が縮小することになる。例を挙げれば、1910年以降に出版された著作物は、著作者がみずから権利を放棄していない限り、ごく一部しかパブリックドメインになっていない。著作権が年々延長されつづけているからだ。その上、技術的な制限によって創りだされた「コピー権」は一定の年数で消滅するようにデザインされてさえいない。SDMIやCPRMの規格には、「2100年になれば、1910年の映画を自由にコピーできるようになる」といったことは一切含まれていない。
問題なのは、「著作権の保護」という小さな枝葉が、人類のコミュニケーションという根幹を左右するときだ。Andy Odlyzkoが指摘するように(『コンテンツは王様ではない』および『コミュニケーションの歴史とインターネット』参照)、「米国内の映画チケットの売上は年間10億ドルに満たないが、電話産業は同じ額を二週間ごとに稼ぎ出している」。著作権保有者の利益を守るために人類のコミュニケーションとコンピューティングの技術や法律を歪めることは、世界全体へ不利益を及ぼす。社会の長期的な安定という根本的な方針に反することが仮になかったとしても、経済にとって誤った選択だ。
問題なのは、われわれが欠乏状態を終わらせることができる技術を手に入れたのに、欠乏状態から利益を得る者たちのためにわざわざそれを放棄してしまうことだ。われわれはいま、コンパクトにデジタル化可能などんな情報でも複製できる技術を手にしている。個人にも手が届く非常に低いコストで、世界中の何十億もの人々それぞれのために複製することが可能だ。そしてわれわれは、他の種類のリソース――あらゆる現実の物体を含む――も同じくらい容易に複製することができる技術を手に入れようと研究を進めている(“ナノテクノロジー”http://www.foresight.orgを参照)。 科学と技術、そして自由市場の発展は様々な種類の欠乏や貧困を終わらせてきた。今から100年前には99%以上のアメリカ人が屋外便所を使っており、子供の10人に1人は幼いうちに世を去っていたが、今ではもっとも貧しいアメリカ人でさえ自動車、テレビ、電話、暖房、清潔な水、衛生的な下水道設備を享受している――1900年のもっとも豊かな億万長者でさえ手に入れることができなかったものだ。現在研究されている技術は、近い将来に物質的欠乏をも駆逐することができると約束している。
われわれはこの地上に楽園を築いてゆけることをお互いに喜ぶべきなのだ。それなのに、欠乏状態をあえて継続させることから利益を得ている陰険な者たちは、共謀者をそそのかして安価な複製技術を縛り、機能させないように――すくなくとも、かれらが売りつけようとするものはコピーさせないようにしている。これは保護主義の最悪の形だ――非効率的な一部業界の利益のために、みずからの属する社会そのものから可能性を奪っている。レコードや映画産業はこの人為的に作られた欠乏状態についてあえて触れようとしないが、これこそがいま起きていることだ。
仮に2030年までに、現在CDを複製するのと同じくらい安価な
われわれは豊饒の時代を受け入れ、どうすればその世界で共に生きてゆけるかを考えるべきなのだ。既にあるものの複製を妨げるのではなく、新しいものを創造したり、サービスを提供することで生活してゆくためにはどうすれば良いのか理解することに力を尽くすべきだ。これはわたし個人がこの十年間つづけてきたことでもある――わたしはフリーソフトウェアのサポート会社を設立し、成功させてきた。わたしの会社Cygnus Solutionは毎年1000万ドル以上を投じてソフトウェアを書き、無償で提供し、あらゆる人に自由な複製や変更を認めてきた。資金はそのようなソフトウェアが存在すること、それが広く普及し信頼できることで利益を得る顧客から毎年2500万ドル以上を集めることで賄われる。Cygnusは現在レッドハット社の一部となっているが、レッドハットもまたコピーを制限することなく顧客に利益をもたらすことで成り立っている企業だ。オープンソース、フリーソフトウェア、そしてLinuxのコミュニティーがコピープロテクションに警戒心を抱いた最初のグループにいたことは偶然ではない。かれらは欠乏状態を終わらせ、OSやアプリケーションソフトウェアの自由を拡大してゆくことを仕事や趣味にしている。かれらはそれが現実に世界を進歩させていることも、時代遅れになろうとする独占や寡占の勢力からの醜い反発も身をもって経験している。
欠乏状態なしでやってゆけるように世界を丸ごと作りかえるのは大変な課題だ。これほど大規模な変革が世界経済全体に行き渡るまでには、おそらく数十年が必要となるだろうし、無数のあらたな勝者と敗者が生まれるだろう。もし2030年の時点で、大規模な社会的混乱――暴動、社会不安、そして世界大戦――なしに欠乏状態の終焉を迎える準備ができていたとしたら、われわれは極端に幸運と言えるだろう。もし豊饒の時代へと至る平和な道を見いだそうとするなら、われわれはいま、ここで、すでに欠乏状態が駆逐された産業――テキスト、音声、映像の産業を変えることから始めなければならない。適応することができない企業は退場し、それができる企業に置き換えられるべきだ。これらの産業が人工的な欠乏状態を作りだすことなしにどう生き延び、繁栄してゆくかを学ぶ過程で、非効率的な生産手段が今後15年のうちにもより効率的な複製に取って代わられたとき、他の産業が適応してゆくためのモデルと知見が得られるだろう。いまコピープロテクションに依存することは、われわれを完全に誤った方向に導いてしまう! コピープロテクションは、法律と業界カルテルの政治工作によって今の経済構造をいつまでも維持してゆくことができるかのような幻想を与える――ポジティブな技術革新の嵐がまるで枯れ葉のようにそれを吹き飛ばしてしまうというのに。
君が期待したよりは少々長くなったかもしれない。だがここまで書いてきたように、コピープロテクション技術が知らずのうちに公衆に押しつけられている現状には、とても多くの問題があるとわたしは思う。君からもぜひ同様の議論を聞かせてもらいたい。あえて逆の立場から言うとすれば、なぜ私益のために動く企業に、根本的な自由のバランスを変え、表現の自由、自由市場経済、科学の発展、消費者の権利、社会の安定、そして物質および情報の欠乏状態からの脱却を危険にさらす権利を認めなければならないのだろうか? そうしなければ誰かが何かの曲を盗むかもしれないから? 説得力のある言い訳には聞こえない。君の反応を待っている。
ジョン・ギルモア
John Gilmore
Electronic Frontier Foundation
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日本の状況は以下の記事を参照。
ITmedia ライフスタイル:コピーワンス放送本格化、各社レコーダーの対応度 (1/2) (2004/04/05)4月5日、BSデジタル放送と地上デジタル放送の番組がすべてコピーワンスとなり、デジタルレコーダーとメディアが対応していなければ録画できないことになった。…
ITmedia News:「コピーワンスコンテンツ」がもたらす弊害 (2003/07/29)…結果として、デジタルレコーダーの普及とデジタル放送への移行は、これまで自由に近かった「TV番組の録画」に制限が加わるだけでなく、その「録画したもの」の複製についてはほぼ完璧に制限されることになる。
ITmedia ライフスタイル:「バイオ」でコピーワンス放送は録画できません〜ソニー (2004/03/22)…外部チューナーからアナログ入力(コンポジット&S端子経由)で映像を録画する際、映像の加工やDVD作成などを考慮してMPEG形式のファイルとして記録・保存するため、録画した番組データの複製を防ぐことができない。このため、コピーワンス(一回だけ録画可能)番組であっても、著作権保護への配慮から、HDDに録画できない仕様になっているという。(強調付加)
CPRM/CPPMは地上波・BSデジタル放送やDVDで採用されているDRM(デジタル著作権管理)技術。
そのインテルの著作権政策担当VP Donald Whiteside氏曰く、
ITmediaアンカーデスク:日本のコンテンツ保護は厳しすぎる――なぜ戦わないのか? (2/3) (2004/06/21)ホワイトサイド氏:「反対に私がお伺いしたいのは、日本のコンテンツサービスのあり方に不満があるとしたら、日本でコンシューマー側から要求や期待を伝えるという努力がなされただろうか、ということです」
News:SDMI技術の弱点は「万人に知る権利あり」と立ち上がった米大学教授 (2001年6月7日)…しかし,Felten教授は今,こう語っている。
「一般の人,ミュージシャン,そして作曲家には,使い物にならない技術を信じろと言われているのだということを知る権利があるはずだ」。
ボイスレコーダ以上の音質で記録できるMP3プレーヤ/レコーダの主流はCreative(シンガポール)やiRiver(韓国)など、コンテンツ業界からの訴訟リスクが低い米国外の企業が販売している。
また、アップルのiPodは別売りアクセサリiTalk(¥6,980)等を使用することで音声録音(サンプリングレート8kHz固定)が可能になるが、ハードウェア的には最初から高音質(〜96kHz)での外部入力の録音に対応しており、音声録音機能も最初からiPod本体のファームウェアに含まれている。高音質録音が無効化されているのは単にアップルの選択による。
ライン入力や好みのマイクを使ったiPod単体での高音質録音機能を有効化する方法はiPod Linuxを参照。
プリンタメーカーのLexmark社は非純正トナーカートリッジを締め出すため純正品に識別用チップを組み込み、再生品カートリッジ用の代替識別チップを販売するStatic Control Components社を「著作権侵害」で訴えた。
ITmedia News:プリンタトナーの“ぼったくり”に警鐘を (2003/02/05)Lexmarkがこのやり方で訴訟に勝てば、そのうちあらゆるメーカーが、ライバルを退けるために製品に小さなチップを組み込むようになるだろう。自分が持っている車の製造元からしか部品を買えず、しかも部品の価格はそのメーカーが任意に決める――そんな世の中を想像してみるといい。
ナノテクノロジーと情報技術は不可分(“ナノアセンブラを動かすのはソフトウェア”)という認識から、ナノテクノロジーと知的財産権の関係を懸念しているのはギルモアだけではない。たとえば
ティム・オライリー、ナノテクノロジーと知的財産権について
(講演では) 特に、レッシグの著書『コモンズ』の主題であるパブリック・ドメインの浸食をめぐる問題について扱った。ナノテクノロジーに適用してみれば、現実の「もの」の根本的なデザインが知的財産とみなされる世界を想像することはたやすい(すでに生物特許という例がある)。ナノテクノロジーの約束する未来が現実となったとき、もし知的財産の問題がまだ解決できていなければ、われわれは空前のland grab(乗っ取り・占領)に直面する可能性がある。「もの」のデザインがナプスター的に交換される世界の方が、先に手続きをしたというだけの誰かに税金を払わざるを得ない世界よりはまだいい。そしてもちろん、未来はこの二つのアプローチを混ぜたものになることだろう。(強調付加)
ローレンス・レッシグ、ナノテクノロジーと法的規制について
TCS: Tech Central Station - Visions of the Nanofuture (2003/05/07)
(foresight主催のナノテク会議でのインタビュー(QuickTime, 3340KB)より)ナノテクノロジーが実現したとき、デジタルテクノロジーで起きたような問題を繰り返さないために、法を「予防接種」する必要があるだろう。大きな問題は2つある。まず、ナノテクノロジーは規制が法的に許される種類の技術であると考えられること。(情報技術と知的財産権の関係で抑止力となった表現の自由のような)憲法修正一条による保護は明確には存在しない。次に、特許政策において特許制度が本来の目的や機能を失ったことと同じ危険がある。わたしはナノテクノロジーの技術については無知だが、法がナノテクノロジーに及ぼすかもしれない害については非常に懸念している。